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葬送のフリーレンと、私たちの資本主義的「自己表現」

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最近、『葬送のフリーレン』を観ていて、ふと思ったので、 適当に書いていきます。 劇中で登場する魔法。あれ、他のアニメでは無いようなものがありますよね。  アニメやゲームで「魔法」といえば、普通は攻撃魔法や、回復魔法をイメージしますが、「服の汚れをきれいにする魔法」 や 「ぐっすり眠れる魔法」といった、一見すると現代には便利なものでも、世界観を鑑みると、便利だけど優先度の低い魔法が登場し、 フリーレンって、日常便利系とか、いたずらに使うの?って感じの魔法好きですよね。 その行動って、人間からすると途方もない時間をどう過ごし、どんな景色を見てきたかという「生き方」のように感じます。 話を現実に戻して、私たちの現実世界はどうか。 私自身、今は「ものづくり」の仕事をしていますが、 世の中が資本主義だから仕方なくやっている感じですね。 (エンジニアってある程度凡庸でも需要が多いから食っていけるだろうという打算ありきで自分の能力を活用できる場として) ものづくりを仕事にするのは、私の在り方として、2番目の選択肢と考えています。 で、話が少し抽象化されますが、世の中の仕事って、自己表現と言ってもいいなぁと考えに至ったんです。 何言ってんの?って思うかもしれませんが、芸術家やアーティストと呼ばれる人たちは、ある程度、自己表現している人といっても理解してもらえると思います。 ものづくりしている人もその枠組みでとらえられると思いませんか? アニメの魔法詠唱ってプログラミングに似ているという感覚がある人は一定数いると思うのですが、特定の魔法をC言語で記述して、実行に必要なハードを用意すれば、だれでもその魔法を行使できるみたいな。 で、製品の設計って、ハード、ソフト、両方にかかわるんですけど、要素を細かく見ていくと、ある程度分解できていって、 一つ例を挙げると"電気"を扱うとき、まぁ電磁気学的に認識するんですけど、電気って、人類はまだ解明してないじゃないですか。 電気ってこう動くよねぇ、っていう一部の挙動を理解したからそれを利用している。 フリーレンの劇中でも、飛行魔法はよくわからない部分ありきで話が進んでいます。 今の資本主義的な世の中で、ものづくりという手段をとるのは 魔族やよくわからん敵がいる中で、戦うための魔法を覚えるという手段をとるのは 生きている世の中の前提...